コンサルタントブログ

Withコロナにおける組織開発とドラッカー(2/3)

2020.08.05ブログ / 広報誌

平尾 貴治

※Withコロナにおける組織開発とドラッカー(1/3)から続く

「思考の合理化」に負けないために学ぶ

平尾 組織経営においても、ボランティアで行っているLGBTQ支援の活動においても、いつも感じるのが、「思考の合理化」の問題です。
「男(女)ってこういうものだよね」「大企業ってこうだよね」「私はこういう立場として考える」など、思考の合理化を行うと、一見物事の判断が早く進むということにわれわれは慣らされてきました。
先日、ある会社の役員の方が「テレワークは俺が見ていない時、部下がサボっているんじゃないかと思って心配だ」との発言に対して、別の会社の女性が、「サボったっていいじゃないですか」と即答で返したことがありました。約束した成果を他人の半分の時間で済ませられたら、残された時間に趣味、副業、家族など何に使おうが自由。パラダイムシフトだなと感じました。
経営的な行動、決断の素早さを求められながら、一方で今までの思考の合理化ではなく原点から考える、そんな二律背反の中にいる人にどういうメッセージを出すべきでしょうか。

井坂 たぶんドラッカーなら、「あなたが学び続けるしかない」というでしょうね。
私は時々昔自分が習った学校の先生を思い出します。私が過去に出会ってきた魅力的な先生は、一人の例外もなく、本人が学んでいる方でした。今でも中学校時代の音楽の先生を思い出します。いつも体を揺らして歌いながらピアノを弾いている男性の先生でした。とても楽しそうだった。
私が印象に残っている先生は、ただ自分が楽しく学んでいる姿を生徒に見せていただけの方々だとあるときふと気づきました。学ぶとは新しいものを習得しながら過去を適宜廃棄して、自身の再生産をしているということです。ドラッカー自身そのような学び方を一生続けた人ですが、知識労働者のロールモデルだと常々思います。
学び続けなければ、必ず行き詰ります。悪くすれば、誰かにとって都合のいい思考に絡め取られたり、悪くすれば犠牲になったりする。戦後の会社システムはそう考えると、個人を狭い箱に閉じ込める「反学習装置」だったのではないかと思わなくもありません。少し厳しい言い方ですが。

平尾 なるほど。楽しく捨てながら学んでない人に限って、正義や正論を言い出す。上田惇生先生に初めて会った時に本当に楽しそうでした。あんなに楽しそうにドラッカーのことを話してくれなかったら、私はドラッカー学会に入ろうとは思っていなかったでしょうね、たぶん。

今こそシビアに組織を考える

井坂 私はここ10年くらい、マネジメントを「一本の樹」にたとえています。自分でも最近になって気づいたのですが、樹は生き物のシンボルであるとともに、多様性のシンボルなのですね。


コンサルタントなどは典型ですが、結局は人にせよ会社にせよ「生き物」を相手にしているわけですよね。生き物は、ちょっとした要因変化で調子を崩したり、悪くすれば死んだり枯れたりしてしまう繊細さを伴っています。繊細さを保持したままで、どのように本来持っている生命の力を最大限発揮してもらえるか。マネジメントの中心的な命題とも重なってきます。
ある会社を樹にたとえた時、社会という大地に根を張っているわけです。売上何百億というような大企業であったとしても、大地から切り離されて生きていることはできない。シンプルでありながら厳粛な事実です。
根の部分を考えるというのは、ドラッカーが説く重要な視点の一つです。「事業が何のために、誰のためにあるのか」という、ばかばかしいくらい当たり前の問いを日々考えなければいけないという。
冒頭の話題に戻りますが、そんなばかばかしいくらい当たり前の問いの中に、どう明日を作っていくかという根本的な命題をはらんでいるのであって、まさしく組織開発は根や土壌の部分を担っているということだと思うのです。

平尾 組織開発に大きく影響を及ぼしているゲシュタルト療法・心理学を学んだ時に習った言葉に、grounding(どう接地しているか)centering(どう中心軸を置くか) connecting(どう外部とつながるか)というのがありました。
人や組織を「樹」として捉えることにつながりますね。

井坂 こう言うと身も蓋もないのかもしれませんが、「自分の仕事やポストは社会にとって必要なのか」という根本的な疑いなどは、今こそ発すべき千載一遇のビッグ・クエスチョンなわけですね。せっかくコロナの時代に「本気で思考する機会」をもらっているのですから。答えが「ノー」だったら困るのですけれど(笑)。
私たちの生きる世界は想像する以上に慣性の力が働いています。あまりにも存在が自明過ぎて誰も疑問をさしはさまなくなっているものがあまりに多いのです。慣性の強い社会では、答えばかりがたくさんあって問いが少ない。
特に、日本は「立場主義」が強い社会です。
ドラッカーは「とにかく、新しいポストを作ることに対しては徹底的に慎重でなければいけない」と強く言っていました。一度作ったポストは、役割を終えても都合よく消えてはくれません。ポストがあるということは、人がいるということです。役割が終わったから、ポストだけ廃止するということは難しい。人が付いているわけですから。
しかも給与とか地位とかいろいろなものが混ざり合ってくると、たまたま何かの思いつきで作ったポストが奇妙な威光を伴って永続するリスクさえあります。

平尾 日本は長らく一斉採用・年功序列・終身雇用でした。それこそ思考の合理化になったりしてきたのかもしれないですね。
組織開発は、「ポジティブに心地よくなりながら安全な場を作りましょう」と誤解されることもあるのですが、場合によっては、何かを捨てる、別れるも含めての概念だとわれわれも考えています。真剣に話し合っていただいた結果として何かの事業部が廃止されたり、あるいは役員が降りたりすることもあります。

<井坂康志(いさかやすし)氏プロフィール>
1972年埼玉県生まれ。現在、ものつくり大学特別客員教授、ドラッカー学会理事、編集者、メディア・プロデューサー。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。著書に、『P・F・ドラッカー-マネジメント思想の源流と展望』(文眞堂、経営学史学会奨励賞受賞)、『ドラッカー入門 新版』(ダイヤモンド社、上田惇生氏と共著)等。

 

Withコロナにおける組織開発とドラッカー(3/3)に続く

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