コンサルタントブログ

「慮る(おもんばかる)こと」の功罪

2016.01.29ブログ

平尾 貴治

「慮る」という言葉を辞書で引くと、「『おもいはかる』の音変化。周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。」とあります。
先日、ある企業の方から「健康な組織がダメになっていく時の兆候って何でしょうか?」という質問を頂いた時に、頭に浮かんだのが、この言葉です。

 

私は、内部で倒産を体験したことがあるので、自慢じゃないけど(笑)、企業がダメになっていく時の「空気感」はわかります。
それは、過剰に慮って相手に伝えるべきことを発しなくなり始める空気です。
こんなことおかしい、とかこのままで良いわけがない、などと思っても、「こんなことを、この場面で、自分の立場の人間が言ったら、相手が傷つくかもしれない。」と慮って黙り込み出したら、その集団(企業・家族)は黄色信号です。
もちろん、「慮る」の本来の意味は、もっとポジティブで能動的なものだったのでしょう。状況に対して反応的に動くのではなく、全体観を持って、最良の行動を選ぶ、という意味だったのかもしれません。
ところが、現代において、ほとんどの組織は「慮る」の後は「行動する」ではなく、「黙る」「やめる」ということに続くようになってしまった気がします。

 

なぜ、慮った瞬間に行動をやめるのでしょうか?
本当に相手が傷つけないためですか?本当は自分が傷つきたくないからではないですか?

厳しい言い方をすれば、相手の将来の幸福のことよりも、今の自分が傷つかないことを優先しているからではないでしょうか?
恥ずかしながら、サラリーマン時代の自分もそうでした。
でも、結果的に、それは誰も(もちろん自分自身も)幸福にはしませんでした。

 

私のある友人は、私に対しておかしなところを感じた時、一切慮ることなくストレートにものを言ってくれます。
それは、とても痛い時もありますが、同時に本当にありがたいことです。

 

私たちのコンサルテーションも、一言で言うと、企業内に存在する「過剰に慮った行動(遠慮)」を外す援助をして、本来の意味の「配慮(=相手の成長を信じて、適切な言葉で、ストレートにフィードバックを行う)」の文化を醸成することです。
一つでも多くの企業が、本気で仲間と自分の将来を大切にして、「違和感があっても本質的な話し合い」ができるようになることが、私たちの望みです。

 

平尾貴治

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