コンサルタントブログ

吉田茂のドラマから

2012.10.09ブログ

平尾 貴治

吉田茂をモデルとしたNHKドラマ「負けて勝つ」の最終回を見た。
NHKは時々「ハゲタカ」のように神がかり的にストライクゾーンのドラマを作ってくれるが、今回も本当に胸に響く重厚な作品だった。

 
吉田茂は、「アメリカに飼われた犬」として風刺漫画に描かれたように今だに賛否両論の絶えない政治家である。確かに米軍基地・自衛隊・日本国憲法など今に続く重大問題の根っこに大きく関わる人物であろう。

しかし、彼もその側近の白州次郎も、絶対譲れないもの、つまり「日本の独立」をひとつだけ押し通すために、複雑な外交の潮流を見ながら、「個人の正義」は降ろし、譲るべきを譲ってきたのではないか、というのがこのドラマの訴えたいことだったように思える。その動きは後世の人間からみれば、非常に政治的であり、自分のポリシーが無いように見えるかもしれない。
しかし、第二次大戦の敗戦国が独立することがどれほど困難だったかは、東西に分断されたドイツや多額の賠償金を払ったイタリアを見れば明確であり、吉田茂はそのために「プライド」も「正義」も、時に「論理的合理性」すらも捨ててきたのではないか。
私自身は、もともと好きな歴史的人物は新撰組の土方歳三だった。彼は単純さこそを愛し、時代がどうあれ「自分の信じる正義」のみに生きて死んだ。もし同時代であれば吉田茂など真っ先に叩き切る相手だったろう。
学生やサラリーマン時代の私もまた土方のようにひたすらに単純に生きたかった。

 

ただ、コンサルタントとして仕事をさせていただくなかで、組織においては「絶対に譲れないもののために、プライドや正義を捨て、時に政治的戦略的に動くしたたかさ」がいかに大切かということを現実の場で学んできた。特に中間層のリーダーをお手伝いすると、外部においては貪欲で我儘なマーケット、内部においては強烈な統制をかけてくるトップなどと対峙しながら、それでも各々の譲れないものを通していかねばならない。例えて言えば、山の頂上を目的とするのであれば、天候によって登山ルートは変更し、チームメンバーも変えてでも目指していくのだ。

そうした行動は場合によっては「卑怯」と言われることもあるかもしれない。しかし、それを恐れていては頂上には辿り着かないのだろう。

 
自分の「絶対譲れないもの」とは何だろうか?そして譲れないものを通すために捨てるべき正義やプライドとは何だろう。
そんなことを考えさせてくれるドラマだった。

 
平尾貴治

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