「DJポリス」から学ぶ・・・

「皆さんは12番目の選手です。」
「こんな良き日に怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いてください。」

 
 

サッカー日本代表が2014年ブラジルW杯出場を決めた夜、渋谷駅前に集まったサポーターをユーモアのある呼び掛けで誘導し、一躍時の人となった「DJポリス」。
報道でご存知の方も多いでしょう。
警視総監賞を贈られたという機動隊広報係のお二人は、聞けば20代とか。
人の心に訴えかけるということに、年齢は関係ないと思わせてくれる、嬉しいニュースでした。

 

混乱を極めたあの場面で、DJポリスの彼らはまさに「リーダー」として人の心を掴み、言いづらいことも言わなければいけなかった。
日常生活に置き換えてみると、お客様が周囲にリーダーシップを発揮しなければいけない場面のお手伝いはもちろん、自分自身がリーダーになることもあれば、リーダーから指示を受けるという場面も多くあります。

 
「そんなときに大切なのは、高等なテクニックではなく、『口から言葉を出す前に、相手の立場にたって一度考えてみる』という、ごくごくシンプルなことなのではないだろうか?
はじめはうまく話せなくても、その積み重ねが『とっさの瞬間に出てくる言葉』を成長させ、結果的に周囲の人たちの心をつかむことが出来るはずだ。」
 

自分自身の様々な経験も脳裏をよぎり、DJポリスの活躍を見ながら、最近ふとそんなことを考えています。

 
 

Sotoyama

 

正義・正論とは何か

私はかつて正義の味方になりたいと思っていました。
幼い頃は、紙で作った仮面ライダーのお面を被って崖から飛び降りて足を挫いたりしてました(笑)。
もう少し大きくなって格闘技を習い始めたのも、自分なりの正義が暴力で曲げられないようにするためでした。
自分の信じる正義が正しく、そうでない「悪」と戦おうと思ってました。

でも、今コンサルテーションの現場で日々感じることは、組織の中で正義や正論に固執することの危うさです。
営業部には営業部の、製造部には製造部の、正義・正論があります。
経営者には経営者の、現場には現場の、正義・正論があります。
問題は、それぞれがそれぞれの立場での正義・正論を絶対的なものと見てしまうことです。
特に真面目で責任感が強く、純粋な方に、それが多いように感じます。
そして、「何故、当たり前の正論が通らないのだ?だからうちの会社(上司)(部下)はダメなのだ!!」
と怒ったり、時には突っ込んで玉砕してしまいます。

かつて、ある方に言われた言葉があります。

「正論や事実は結論ではない。単なるスタートにすぎない」 

正義や正論は本人にとっての大切な価値観です。
だからこそ私達は、正論を結論にして行動したくなります。
でも価値観とは、別の人から見れば単なる「偏見」の場合もあります。
あるいは、本当に正義・正論だったとしても、それは、本当に「今」通すべきものでしょうか。
まず、自分の正論・正義を一度疑ってみましょう。
そして、それでもやっぱり今通すべき考えであるという結論が出たら、次はそれを通すための戦略・戦術を駆使しましょう。
それはズルいことでも姑息なことでもありません。

三国志の韓信だって、大義を通すために、山賊の股の下を潜ったのですから。

平尾貴治

“キャリア”という虹

ありがたいことに、今月も様々なお客様のサポートをする機会があり、あっという間に5月も終わろうとしています。
先日は、そんなスケジュールの間をぬって、設立にも携わったODネットワークジャパンの年次大会に参加するため、名古屋の南山大学まで行ってきました。

 

複数のセッションが同時進行するなか、私は以前から関心があった「キャリア開発」と「OD(組織開発)」との関係性を考えるセッションに参加し、そこで大きなインパクトを受けました。
恥ずかしながら、勉強不足でこれまで「キャリア開発」については漠然としたイメージしか持っていなかったのですが、専門家の方にお話を伺い、自分が持っていたイメージは間違った認識だったことがわかったのです。

 

特に印象に残ったのは、「キャリア=会社の仕事(job)」ではない。社会活動の中で個人が置かれている役割全般(家庭での役割、地域社会での役割、など)を、キャリア開発における仕事(work)と捉えている。というお話でした。
私自身、過去には仕事を兼業したり、仕事とスポーツチームでの活動を両立させてきたり…と、複数の場所で「いかに人や社会に対して、影響力を持ったり、貢献の出来る人間でいられるか」ということを考えてきました。
自分にとってはそれぞれの場に「work」があり、それを全うすることが自分の在りたい自分に近づける道だと感じていたから、打ち込むことが出来たのです。
しかしその一方で、「なぜお金にならないことに、そんなに打ち込むの?」という疑問を周囲から投げかけられた経験もあり、理解してもらえない寂しさを感じたこともあります。

 

まだ日本では、キャリア開発を「昇進・昇格、職種変更、就職活動」と捉えられている傾向が強いというお話に、深くうなづいてしまいました。
私自身、組織の中で仕事をしていると、無意識に「jobを最優先させて考えなければいけない」ような気持ちになり、家庭や地域、それ以外の場でのworkに取り組むことに罪悪感を感じる瞬間があったのです。
だからこそ、今回の「キャリアはjobではなく、work」という考え方を聞き、霧が晴れたような気持ちになれました。

 

キャリア開発で著名なスーパー氏は、「キャリアは虹のようなものである」と言っていたそうです。
会社・家庭・地域社会…人生には、虹が複数の色の重なりで出来ているように、様々な場でのworkが同時進行していて、その時その時で色の輝き方のバランスも違っていい。
そう考えると、自分の虹をどう輝かせようか?広い視野で物事が考えられそうな気がします。

 

自分の生き方・在りたい姿(ビジョン)が明確だからこそ、OD(組織開発)も出来る。
所用のため、2日間の年次大会のうち初日しか参加することが出来ませんでしたが、セッションの最後に聞いたこの言葉に大きな力をもらい、明るい気持ちで帰路につくことが出来ました。
自分が関わるサポートでも改めて、組織に属するお一人お一人のビジョンが組織を変革する力になることを忘れず、取り組んでいきたいと思います。

 
Sotoyama

新人を育成することで感じていること

弊社にも新人が入ってきました。
これをお読みになっている皆様の会社でもそうでしょうが、日々の業務にプラスして新人育成は簡単なことではありません。

 

一方で、「人に教えることが、自分が学ぶ最高の手段」という言い古された言葉を改めて痛感できています。
弊社の理念・ビジネスモデル・お客様との関係性・日常業務まで、多くのことを教える中で、自分自身の頭が整理されていきますし、何より新しい世界に飛び込んできた彼らと話すことで、「自分自身はなぜこの道を選んだのか、その時の夢は達成できているのか」などと、哲学的な問いまでが、自分に突きつけられている毎日です。

 

実は最近、あるクライアント様に対して、評価制度構築と部下育成スキル向上プログラムを実施させていただいているのですが、本来の目標観以上に、評価者(上司)自身の会社と仕事に対する姿勢が変化成長していくのを目のあたりにしております。

 

「うちはリーダークラスが育たなくって。」とお悩みの経営者や幹部の方によくお会いいたします。
場合によっては、思い切って彼らに育成責任と権限を与えてみてはいかがでしょうか?

 

平尾貴治

GWを前に…

気がつけばあっという間にゴールデンウィーク。

コンサルテーション・研修が続き、私にとってはようやく少し足を止め、

振り返る時間が取れるようになってきました。

この春も新入社員研修に関わらせていただき、新生活をスタートさせたばかりの受講者の皆さんの姿から、

様々な刺激をいただくことができました。

その中でも強く感じたのは、「素直な心」「体験してみること」「質の高い振り返り」の大切さです。

 

まず、他者の言うことをいったん受け止めてみる「素直な心」。

失敗を恐れず「体験してみること」。

自分の体験を通して学んだことを、掘り下げ、概念化する「質の高い振り返り」の時間。

たった1日の研修でも大きく成長していく彼らを見て、この3つの大切さを痛感しました。

 

言葉にすると当たり前のことですが、自分自身を振り返ってみると、

経験を積めば積むほど自分のプライドが邪魔をしたり、

山のようなタスクに追われ、意外と実践できなくなっているような気がします。

 

特にここ最近は、様々なことに忙殺され、「質の高い振り返り」がなかなかできていなかったな・・・と感じています。

失敗を恐れず「体験する場」や、「質の高い振り返りの時間」をサポートする仕事をしている以上、

自戒の意味も込め、今年のゴールデンウィークは有効に使いたいと思っています。

 

Sotoyama

 

人生の三通りの選択

昔、登山家の小西浩文さんとお話した際に、

「人間の生き方は三通りしかない。最後の時に、満足して死ぬか、折り合いをつけて死ぬか、後悔して死ぬか、その三つだ」という言葉をいただきました。

 
個人的な話ですが、最近になって古い友人からの誘いが急に増えています。
大学、高校、果ては40年ぶりの小学校の同期会など、イベントが目白押しです。
50歳過ぎ、という私の年齢がちょうどそういうタイミングなのかもしれません。
古い友達と会うたびに、自分の人生が、前述の三通りのうちのどこに向かっているのかを、つい考えてしまいます。
クライアントのご担当者からは、「ある年齢を超えたら、もう性格は変わらないですよね。」と質問を受けることが度々あります。しかし、つい先日お手伝いした企業では、幹部の皆さんが今まで避けてきたリスクを受け入れ、それによって見事に組織を変えました。正に、年齢を重ねても性格(=行動パターン)は変えることはできる、という実証例であり、いくつになっても三通りの終わり方を選びなおすことはできるということだと思います。

 

 

そんなことを考えつつ改めて自分自身を省みております。まだまだ老け込む歳ではありませんが、かといって無限に時間が残っているわけではありません。
改めて自分のスタンスを確認し、人生の三通りの選択うちのベストを選びたいと思います。

 

平尾貴治

湯船で思う地域のあり方

数年前、知人に「美容と健康に良い」と聞いてから、定期的に銭湯に行くようにしています。
“スーパー銭湯”や“スパ”ではなく、いわゆる昔ながらの“町の銭湯”です。

銭湯で熱めのお湯と水風呂に繰り返し入ることで代謝も少し良くなってきて、

おまけにお肌はツルツル・・・と、「銭湯効果」を感じる今日このごろ。

近所だけでなく、出先でも入れるタイミングさえあれば、ふらりと立ち寄ったりもします。

そんな銭湯ライフをゆるりと楽しむなか、先日、印象に残った出来事がありました。

 

行きつけの銭湯で湯船に浸かっていたときのこと。

小学校にあがるかあがらないかくらいの女の子が、一人で浴室に入ってきました。

すると、その女の子は体を流してから、私が入っていた小さめの薬湯スペースに入ってきたのです。

目があうとニコッと女の子が微笑んだので、つい「一人で来たの?」と話しかけてしまいました。

「ううん、お父さんがあっち(男湯)にいる。あとで待ち合わせしてるんだ。」

「そうなんだ。一人でお風呂に入れて、えらいねー。」

そんな会話を交わし、私は再び水風呂と熱い風呂の繰り返し。。。

その後何となく気になって女の子を見ると、女の子がお風呂からあがり、

着替えて脱衣所を出ていくまでの間、私が確認する限り、私も含めた6人のおばさん&お婆さんから

「一人で来たの?」と話しかけられていました。

そして、人懐っこい女の子は、その度に少しおしゃべりをして、最後は「さようなら~」と言いながら

お父さんの待つ待合室へと出ていきました。

その様子を見ながら私は、「あぁ、東京にもまだこんな温かい光景が残っていたんだな」と嬉しくなったのです。

 

子どもが安心・安全に暮らせるように、様々な地域で「子どもの見守り」の取り組みが広がっています。

私は、そういったものが必要とされている根底には、「他者への関心の薄い人が増えてきた」という問題が

あると感じています。

そして、他者への関心の薄さは、子どもだけに限らず、同じ地域に暮らす若者やお年寄り、

学校や会社の中での人間関係に対しても、同じことが言えるでしょう。

日ごろ仕事で、人間関係が希薄なチームをどのように「一枚岩」にしていくか?を考えさせられるだけに、

この問題は私の中では大きなテーマの一つになっています。

 

でも、まだまだ探せば、銭湯でのひとコマのような「良い意味でのおせっかい」なおばさんやお婆さん

(私もその一人です)が存在している。

家風呂が各家庭に普及し、町の銭湯は数少なくなってきていますが、

地域コミュニティとして機能し、「銭湯ダイアログ(対話)」なんて出来たら、まだまだ存在価値を

発揮し続けられるのではないか・・・?(湯あたりには十分注意が必要ですが)

 

そんなことを思いながら、春の夜風に吹かれて家路についたのでした。

 

 

Sotoyama

 

タイ視察旅行で感じたこと

「ほとんどのクライアントが海外にも拠点を持つ以上、そこの“生”の状況を見ない限りは本当の意味でのコンサルテーションはできないよね。」
そもそも、そんな仲間の一言から、タイにおける日系企業を見に行ったのですが、日本に帰ってきてから数日たっても結構なインパクトが残っております。

 
何よりもタイ人労働者のレベルの高さに驚きました。
恥ずかしい話ですが、現場を生で見るまでは、タイに生産拠点を置くということは単にコストパフォーマンスのためだろうという認識でした。
確かにその部分はあり、人によっては1万パーツ(約3万円)の月収で、高い向上心をもって作業のルールをまじめに守りながら技術を真剣に磨いていました。
しかし、そればかりでないのです。
ある工場の通路にはタイ人チームで作成したQC活動の成果が張ってあり、日本人の力を借りずに作り上げた納期管理ソフトが秒単位で、工程の進捗状況を伝えていました。
日系企業で働くための学校では、プライバシーもない大部屋で寮生活を送りながら、日本語や溶接の技術とともに5Sや効率化を学んでいました。
そこの学校で一番驚いたのは、我々とすれ違うときに、その場で一瞬とまり満面の笑顔で「こんにちは!」と大きな声で挨拶して通り過ぎる、という多くの日本人ができなくなっている正しい挨拶の姿でした。
つまり、彼らは作業技術も高く、マネジメントやカイゼン運動も自ら行い、さらに礼儀作法まで身につけつつ、日本人より遥かに安い賃金で頑張っているのです!

 

 

では、我々日本人は何を持って彼らに負けないことができるのでしょうか?
ひとつのヒントになったのは、タイ人労働者の多くの方は、隣に少しでも賃金の高かったり、残業が多かったりする工場があれば、合理的に判断し、会社を変えるということです。
そこには、日本人のように「今自分が抜けたら仲間に迷惑をかける」とか「自分の製品で喜ぶお客様がいるのだから」という感覚は少なくみえる、と伺いました(もちろん例外はあるでしょう)。
ベタな言い方ですが、「顧客や仲間を思ってひとつの仕事を全うする心」はまだまだ日本人の強みとして考えてよいのではないかと思います。

※言うまでも無いことですが、どちらが良い悪いではなく、「国民性の違い」という意味で申し上げております。

 

 

もうひとつ、新たな希望として見えたのは、日本の20−30代の若いビジネスマンが、タイの地で奮闘努力する姿でした。
彼らは日本の学校を卒業した後、国内で就職せずにそのままタイにある日系企業で働いていました。日本でサラリーマンをやっていたら、係長にもならないような年齢で、クライアントの大企業担当者と渡り合いながら、言葉の違う部下へのマネジメントを必死で行っていました。
そこには、かつての日本人の持っていた「寄らば大樹の陰」的な安定志向とは真反対のリスクテイクを感じました。

 

 
さあ、多くの新入社員が社会に飛び出す季節です。

改めて、「グローバルの中でのこれからの日本人の働き方」という意味を私も考えたいと思います。
タイ人の若者やタイで働く日本人の若者の目の輝きが、今も強烈に記憶に残っています。

 

 

平尾貴治

別れの季節

3月と言えば、卒業シーズン。
友人から子供の卒業式の話を聞いたり、街中で袴姿の女性を見かけたり・・・
「あぁ、もうそんな季節なんだな」と、時の流れの早さを感じます。

 

私の身の回りでも、仕事やプライベートでお世話になった方から「実は3月末で退職するんです。」
というご挨拶を立て続けにいただき、【別れの春】の物悲しさを感じずにはいられません。
嫌でも卒業に向かってカウントダウンしていく学生時代とは違って、社会人になってからの【別れ】は、
告げられる側にとっては「突然の出来事」である場合も多いもの。
別れを知ってから、「もっと恩返しができれば良かったのに」と思うこともしばしばです。

 
一方、人との【別れ】を悲しむ気持ちがありながらも、新しい世界に飛び込む人の「ワクワク感」や、
チームに新しいメンバーを迎え入れるときの「ドキドキ感」を羨ましく思う瞬間もあります。
組織に新たな人を迎え入れるのは、準備もパワーもいることですが、硬直化した規範を変えたり、
違った視点を入れるのには絶好のチャンス。
私自身は仕事上で、自分が組織を卒業したり、新たな人を迎え入れたりする経験がここ数年ないため、
最近は意識して、趣味を通した新たな人の輪に入っていくように心がけています。
一見仕事とは全く関係ないようですが、いつのまにか凝り固まっていた自分の考え方に気づかされることも多く、
やはり人との【出会い】が大切なのだと実感しています。

 

【別れ】は悲しいものですが、その先にはきっと喜びにあふれた【出会い】がある。
そう信じて、桜の季節を迎えたいものです。

 

 

Sotoyama

「手段の目的化」の力

以前、あるトップアスリートだった方から、大変に興味深い話を聴きました。

彼は、何度も優勝にチャレンジしてはギリギリで手が届かず、最後の最後にようやく栄冠を手にした方でした。優勝の時には、当時の現役選手の中では最年長に近かったと思います。

 

その方に「現役時代、何を目的やモチベーションにして、あんなにハードなトレーニングをしてたのですか?」と質問したときに、「”トレーニングメニューをこなすこと”を目的とモチベーションにしてました」と答えられたのです。

「え?優勝することを目的にしてたんじゃないですか?」と伺うと、「もちろん優勝はしたかったけど、結果を目的にすると不安になるし、駄目だったら、その度に落ち込むじゃないですか?自分で決めた毎日のトレーニングは、自分がやるかやらないかだけだから、最高の目的になるんですよ。」というお話しでした。

それを伺って、彼がなんであんなにチャレンジを続けられたのかが理解できました。優勝が目的だったら、もしかしたら諦めていたのかもしれません。現役時代の彼は、トレーニングを目的にトレーニングを行い、その結果として、優勝がついてきたのです。

 

よく我々はコンサルテーションの現場で「手段と目的を逆転させないでください」とお話しします。「絶えず何のために今があるのかを考えましょう」とも投げかけます。

しかし、多くの個人や組織が、その手段を持続できないことで悩んでもいます。

アスリートのお話を伺って、もしかしたら「成果を目的」として、「手段は一段低いもの」と置くことが、持続性を失わせる原因になることもあるのかもしれないと感じました。

 

もちろん、手段を目的にするとどうしても視野が短期的になったり、環境の変化に対応できないという危険性はあります。だからこそ、手段はいつもブラッシュアップをしなければいけませんし、そのために成果との紐付けは必要でしょう。そこは意識しつつも、時には、「この手段をこなすことが自分の目的」と強く思い込み、実行し続ける単純さも必要かもしれません。

 

平尾貴治