岡崎と三河武士の組織文化が築いた天下統一 ~組織づくりの原点を戦国から学ぶ~

岡崎を旅し、家康の足跡を辿る中で、私はある重要な要素に気づきました。
それは、三河武士の忠誠心と組織文化が、徳川政権の礎となったということです。
家康がただ優れた戦略家だったから天下統一を果たしたのではなく、彼を支えた組織の結束力と風土が、大きな原動力となっていたのです。

組織開発の観点から見ると、徳川家が確立した文化は強固な帰属意識と信頼による統率に支えられていました。三河武士たちは、今川家の支配下にあっても松平家(後の徳川家)の再興を願い続けました。桶狭間の戦いを機に家康が独立へと舵を切ると、彼らは迷うことなくその決断を支持し、岡崎城奪還へと協力したのです。これは単なる忠誠ではなく、組織のミッションへの強い共感があったからこそ可能でした。

家康はこの結束を活かし、組織の基盤を強固にするために譜代大名制度を導入しました。これは、家康の幼少期から支えてきた家臣を要職に据え、長期的な信頼関係の中で安定した政権を築く仕組みです。これにより、組織内部におけるブレが少なくなり、家臣団が家康の方針を一貫して支えることができました。まさに、現代の組織開発で重要視される心理的安全性とエンゲージメントの高い環境が、戦国時代の徳川家に存在していたのです。

また、家康の統治理念である「寛容と柔軟性」も見逃せません。
戦国時代の常識では、敵対した勢力の武将を排除することが一般的でした。
しかし、家康は武田氏や今川氏の旧臣を積極的に取り込み、異なるバックグラウンドを持つ者同士を融合させました。これはまさに、ダイバーシティ&インクルージョンの考え方にも通じるものです。多様な視点を持つ人材を活用し、組織の強みを最大化することで盤石な体制を築いたのです。

岡崎の旅を通じて、私は家康が単なる戦上手ではなく、組織運営の達人だったことを強く実感しました。
三河武士の誇りと結束力が彼の統治を支え、長期的な組織戦略が江戸時代の平和へとつながったのです。
歴史を知ることは、現代の組織運営にも多くの示唆を与えてくれますね。

南イタリアの旅の魅力―歴史と風景に浸るひととき

4月初旬、南イタリアを訪れた。アマルフィ、ラヴェッロ(天空の庭園)、ポジターノ、カプリ島――急峻な地形に寄り添うように築かれた街並みは、まるで段々畑のように広がり、その壮観さに息をのむ瞬間が幾度となくあった。
日本ではどの街へ行っても、街の景観が似通っているように感じることが多い

しかし、南イタリアでは一つ一つの町が異なる表情を持ち、それぞれが固有の魅力を放っている。それは、かつてこれらの町が独立した海洋国家であった歴史に由来するのかもしれない

アマルフィは、中世に栄えた海洋都市国家の名残を残し、今もなおその歴史的な風格を漂わせている。ラヴェッロの「天空の庭園」から眺める地中海の青さは、まるで夢のような景色だった。ポジターノのカラフルな家々が斜面に寄り添う姿は、絵画のように美しく、カプリ島に渡れば、その神秘的な青の洞窟が旅のハイライトとして深く刻まれる。

南イタリアを歩くことは、単なる観光ではなく、かつての歴史を追体験する旅でもある。それぞれの街が持つ背景を知ることで、そこに息づく文化や人々の営みがより深く心に響く。
歴史を振り返りながら、風景と文化に浸る―それこそが、この旅の醍醐味だった。

南イタリアの美しさと、その奥深い歴史を胸に、また新たな旅へと想いを馳せる。

防衛基地を通りながら考えた、戦争と平和の距離

札幌から襟裳岬へ向かう道中、対空防衛基地のそばを通った。
そのとき、ふと歴史を振り返る。

かつて、北海道は地政学的にも重要な地域であり、戦争の影響を受ける可能性が議論されてきた。
もし北海道が占領されるとしたら、この辺りが上陸地点になる、そんな話を思い出しながら基地を眺めた。

東京にいると、戦争や占領について考える時間はほとんどない。
日常の喧騒に紛れ、国防の問題はニュースの中の出来事でしかない。
しかし、ここに暮らす人々はどうだろうか。
防衛基地のそばで生活することで、平和を守るという現実を肌身で感じるのではないか。

基地の存在は、単なる施設以上の意味を持つ。
それは、過去の戦争の記憶を呼び起こしながら、現在の安全保障を象徴するものでもある。
北海道に住む人々は、国防の最前線にいるという意識をどこかで持っているのではないだろうか。

しかし、基地を見つめながら思う。戦争は遠い話であり続けるべきだ。
それを現実のものにしないために、私たちにできることは何か。
歴史を知り、平和の意味を考えること。
そして、日々の暮らしの中で、国際関係や安全保障について関心を持つことこそが重要なのではないか。

防衛基地を通り過ぎると、また静かな風景が広がる。
その景色を見ながら、私はこの平穏が続くことを願った。

夕張石炭博物館を見学して—栄華と衰退の歴史から考える未来

先日、夕張石炭博物館を訪れた。かつて炭鉱の町として栄華を誇った夕張の歴史をたどりながら、私は産業の移り変わりについて深く考えさせられた。
石炭産業が隆盛を極めていた時代、日本の経済を支える重要な柱だった。しかし、時代の変化とともに、エネルギー政策の転換、技術革新、環境問題への対応が求められ、石炭の需要は減少。採掘の難しさや海外炭との競争も重なり、やがて多くの炭鉱が閉山を余儀なくされた。
「かつて必要だったものが、いつかは不要になる」

この夕張の歴史を通じて、私は今隆盛を誇る産業も、いつかは役目を終える日が来るのではないかと考えた。例えば、化石燃料を基盤とした産業は、再生可能エネルギーの進展とともに変革を迫られている。AIやIT分野も、今は最先端だが、技術の進化によって次の世代の仕事の形が変わることは間違いない。
この思考の中で、北海道炭礦汽船の歩みを改めて振り返った。同社は、日本の石炭産業を牽引し、夕張を炭鉱の町として発展させたが、時代の流れに適応することが難しかった。石炭産業の衰退が予測される中、新たな事業への転換を図る企業も多くあったが、北海道炭礦汽船はその波に乗り切れず、結果として企業の存続は難しくなった。
産業の変化に適応するには、予測し、行動し、時には大胆な決断をすることが求められる。しかし、それは容易なことではなく、特に一世を風靡した業界ほど、その変化を受け入れるのが困難なのかもしれない。栄華を極めた企業が、その成功に縛られ、変革をためらうケースは歴史の中にいくつも見られる。
夕張の過去から学ぶことは多い。産業の繁栄と衰退は決して突発的なものではなく、社会の変化とともに徐々に移り変わる。そして、その流れの中で私たちはどのように未来を築いていくのかを考えなければならない。
博物館を後にしたとき、私は一つの確信を持った。変化を恐れず、その波に乗る力こそが、未来を切り拓く鍵なのだと。

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

2024年は振り返ると、まさに激動の一年でした。日本企業の事業改革が求められる中、労働力不足への対応、実質賃金の向上、そして企業内でのAIの爆発的な活用が進みました。組織開発も同様に、大きな変革の年となりました。
特に、若年層の離職問題や管理職への過剰な負荷による閉塞感など、従来の方法では解決が難しい本質的な問題が浮き彫りとなりました。

私たちシー・シー・アイは、クライアント様の「お悩み」を真摯に受け止め、クライアント様の視点に立ったプログラムを開発してきました。本質的な問題解決には、関わる全ての人々が「当事者意識」を持つことが不可欠であると確信しています。どんなに素晴らしい手法でも、「当事者意識」がなければ真の成果は得られません。
私たちの組織開発プログラムは、「当事者意識」を育むためにどのようなプロセスが必要か、パーパスやビジョンに対して共感の渦を生むためにはどうすれば良いかを真摯に考え、積み上げてきたノウハウの結晶です。私たち自身も「当事者意識」を軸に活動してまいります。

今年度も、これまで以上にクライアントの皆様と共に難易度の高い問題を解決していきたいと考えております。引き続き、ご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

令和七年 元旦
代表取締役 大島 岳

新しい未来の出現を実感して

 

先日6月14日(日)、私が理事/事務局長をしているNPO法人ODネットワークジャパン(以下ODNJ)の年次大会&総会が開催されました。
今回は私が大会委員長を務めさせて頂きました。
当初(昨年12月)の時点では外苑前駅近くにあるTEPIA (一般財団法人 高度技術社会推進協会) の会場を借りての、リアル開催を企画していました。しかし2月にはコロナ感染拡大に伴って、リアル+オンラインによるハイブリッドでの開催へと変更しての開催を検討していましたが、3月の時点でコロナの収束が遠いという状況を見てZoomを使用したオンライン開催一本に絞りました。

結果として、「組織開発の対話を大事にしたプログラムがオンラインでここまで出来るんだ」ということを体感し、その可能性を感じることができました。
大会終了後、参加者の方々から
「開催するにあたってどれだけの苦労があったかお察しするとともに、開催していただいたことを感謝します」という温かい言葉を聞くことができました。
また、地方の方からは、「オンライン開催により交通費と時間をとても節約することができ感謝している」との声もいただきました。
年次大会を無事開催することができ、また多くの方のご協力によって成功に終わったことを感謝しております。

実は、年次大会&総会とは別に、もう一つ大きなプロジェクトが進行していました。
それは「コロナの中、今私たちができること」プロジェクトです。
緊急事態宣言が発令されて、改めて組織開発に今何ができるのかを考えていました。
なぜなら、全ての経済活動がストップしてしまったような状況では、残念ながら組織開発に何もできないような無力感を感じていたからです。
そのような中で ODNJの会員で「今私は何ができるのか」を考えました。
そして組織開発ではないけれども、会員の中には多くの専門家がいる。その専門家たちのお力を借りて、この状況下で助け合っていくことはできないだろうかというふうに考えました。
そのことを会員の中の社会保険労務士の方に相談した結果として、全国の他の会員の方も巻き込んで、会員向けに 助成金・補助金そして融資などをいかに活用したらいいかというテーマの勉強会を企画して頂きました。
そのプロジェクトメンバーの中にODNJ中部支部長もいらっしゃいました。
プロジェクトの中で「私たちに何かできること」を真剣に考える姿にインスパイアされ、中部独自としても「今私たちができること」プロジェクトがスタートしました。しかもシリーズで、です。
中部では看護師や心療内科のカウンセラー、そして日本語教師の方といった多彩なメンバーがおり、彼ら彼女らが自分の専門分野でできることを立ち上げてくれたのです。
その他にも、 私が担当する組織開発スキルアップ講座の 受講者OB たちが、同じメンバーだった島根県の精神科医師を主体に、コロナ禍のストレスマネジメントをどう考えるかという勉強会を実施してくれました。

昨年中部は「分科会」から「支部」に昇格し、各地にも地域分科会が発足していました。 ODNJ委員長会では 地域支部や分科会をプラットホームとして活性化して行くつもりでした。そうした方向が、コロナ禍でオンラインでのコミュニケーションしか取れなくなった環境にも関わらず、地域を超え、テーマに共感した渦がどんどん波及していくことが続いていったのです。
これは、私が従来考えていた「戦略ありきの組織化ではなく、共感ベースの組織化」を実体験する場となりました。
はじめに組織ありきではなく、共感を巻き起こすビジョンや価値観を持っていれば、オンラインの中で時間・空間を超えて自己組織化が図れるという、そんな体験です。
この実体験を通して、自分の内在的価値に磨きをかけることがより重要になってくる気がしています。
それを発信して共感の波及ができることによって、従来にない新しい事業ができてくるという新しい未来の出現かもしれません。

大島岳

ODNJ年次大会2018を終えて 

私が理事をしておりますNPO法人OD Network Japan(ODNJ)の年次大会が7月7日、電通ホール&電通会議室で開催されました。

今年度は「進化する組織、覚醒する個」がテーマでした。

テクノロジーが新しい組織のあり方を生み出し、ホラクラシー組織やティール型組織など非管理型の新しい組織のあり方に注目を浴びています。その中で個人のあり方やリーダーシップも革新が求められています。そのような中で面白法人カヤックがODNJエクセレントアワード組織賞大賞を受賞し、One JAPANが特別賞を受賞されたのもその流れだと思いました。受賞講演会も行われ、先進的な取組みを学ぶことが出来ました。

ゲストスピーカーには対話型組織開発の第一人者であるジャーヴァス・ブッシュ氏をお迎えし、対話型組織開発とクリアリーダーシップについて語っていただきました。

診断型組織開発と対比され対話型組織開発が説明されることが多いですが、対話型組織開発というより社会構成主義型組織開発といった方が本質を表していると感じました。

 

また私自身も大会企画として、甲南大学西川耕平教授と久々にタッグを組み、「組織開発の全体像の理解と未来~理論と実践と現状~」を担当しました。西川教授が理論担当、私が事例担当という役割でした。西川教授は日本で一番、組織開発の海外の学会やコミュニティに関わっておられ、最新動向をまじえての発表でしたので、組織開発ビギナーの方であっても興味を感じるお話しをされました。私の事例は診断型組織開発のステップに沿った内容でした。しかし診断型といってもヒヤリングでは対話をベースにしており、社会構成主義の考えに沿った対話型組織開発の事例です。西川教授のお話と共に参加者にとって今後の組織開発の実践に役立つことを願っています。

最後のクロージングでは例年以上に参加者が多く、途中で席を補充しなくてはならないほどでした。ここでの対話によって、自分が参加していないプログラムの内容の理解も進み、学びを共有できる時間となりました。

そして最後に、来年度年次大会が2019年8月24日(土)~25(日)名古屋で開催される事が発表されました。

ODNJはボランティアで成り立っている組織です。今回も多くのボランティアにお手伝いいただき組織化されて運営されたことを嬉しく思います。

written by 大島

加賀屋の強さ

先日、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で34年連続No.1に選ばれている加賀屋に、結婚35周年を祝うため、

初めて宿泊する機会に恵まれた。
100選の基準は (1)ハード (2)料理 (3)サービス (4)企画だそうだ。
今迄に色々な媒体で紹介されていたので、その大きさも知ってはいた。おもてなしのすばらしさも聞いてはいたが、それでも何がそんなに良いのかは想像するしかなかった。

 

これだけの規模の巨大旅館に、はたしてきめ細やかなサービスが出来るのだろうか。
組織開発の観点からも興味津々だ。どんなマネジメントが行われているのか。どんな教育をしているのか。どんな仕組みでやっているのだろうか。

 

しかし、当日エントランスを入った瞬間から、驚きや感動の連続だった。

 

そして初めて頂く夕食の時、食事会場入口の小上がりで見かけた、履物を整理していた年配の女性のことを

「そういえば、テレビ番組で見たことがある」とテーブルについてから思い出した。仲居さんに尋ねてみると、その女性はコンシェルジュをされているのだそうだ。

 

夕食後、仲居さんに尋ねたこともあってか、そのコンシェルジュの女性が部屋にご挨拶に来てくれた。
その時に色々な話をした中で、
「加賀屋の成功の本質は何ですか?」と何とも抽象的な質問を投げかけた。
彼女からは
「経営者を愛することです」と強烈な言葉が返ってきた。
経営者が「社員のことを愛することが成功の本質です。」と言うのは、経営者には当たり前だったり義務にさえ思う人もいたりする。
先代の伝説の女将と言われた人との出会いもあったのだろう。それにしても、何で彼女はそう思えるのだろうか。

 

あとで調べて分かったことだが、彼女は数年前真冬の零下2度の寒さの中で、海に人が落ちたのを、他の30代の男性社員2人と一緒に海に飛び込み、助けていたそうだ。
彼女にとって、お客様をおもてなすとは命がけなんだ。

 

こんなオーナーシップを持った人が支えているんだと知ったとき、加賀屋の強さを知った気がした。

 

大島 岳

いつの間にか進むイノベーション

自宅のリフォームが佳境に入っている。
昨日から一番難所と言われた工程の書斎に入ってる。
とにかく本が多くて大変だ。

 

50代後半の2人の職人さんが入っているがとても楽しそうに仕事をする。
仕事をしながらジョークを投掛けないながら、朗らかに仕事をこなしていく。

 

仕事の最後に「リフォームって新築に比べると大変ですよね?」と話しかけた。

 

「新築はかたづけなくても良いし照明もないしね」
「新築とリフォームとどちらが好きなんですか?」
「私はリフォームだね。遅くまでやらなくて良いし丁寧に仕事が出来るし」
「確かにリフォームは人が住んでいるしね。新築は納期があるので23時ぐらいまでやってますよね。」
「若い人は新築が好きだね。新築は進んでいく早さが実感できるから。リフォームは段取りが見えていないと進んでいないように見えるからね」

 

この言葉にハッとした。

 

全体観が見えていないと進捗が見えない。若いときには目の前の進捗に目を奪われがち。
組織のリフォームやリノベーションと同じだと深く頷いた。

 

大島 岳

その季節、その場所でしか味わえない「おもてなし」

あるサービス業界の役員との話題で、サービス業のグローバル化が話題になった。

 

「ホスピタリティと日本のおもてなしは違うか」
「はたしてその季節、その場所でしか味わえない日本のおもてなしは輸出で出来るか」

 

その時には日本のおもてなしは日本の四季と密接関連していて「もののあわれ」と一体になっているので難しいのではないか、そんな話になったと思う。

 

そんなことを彷彿とさせる出来事に遭った。

 

先日、山の中の小さな一軒旅館に泊った。
山の奥深く朝夕は氷点下まで気温が下がっていた。

 

夕方食事処に行って部屋に戻ってくるといつものように布団が敷かれていた。
テレビもないので食後早々に布団に入ろうとすると、
「んっ!」足先が暖かい。
ふとんを開けてみるとアンカが入っていた。
電気アンカではない。
豆炭のアンカ。
何年ぶりだろう。懐かしい気分になっていく。
まだ里は紅葉の季節だが、ここはもう一足早く冬だったことを感じる。

 

毎日出張の連続で季節の移ろいも感じ取れない毎日だった。
でも自分の中の人間性を思い起こしたような気分になった。

 

この季節、そしてこの場所でしか味わえない。
また違う季節に訪れてみたいと思う。

 

そう、こんな組織開発を目指したい。

 

大島岳