ダンスから学ぶこと

この一年ほど、美容と健康、そしてストレス発散のため、定期的にサルサダンス教室に通っています。
ラテン音楽にあわせて、男女がペアになって踊るサルサ。
長年チアリーダーの世界に携わってきた私にとって、違うジャンルのダンスを踊るのは非常に新鮮で、毎回新たな発見があります。

 

サルサのペアダンスは、基本的に男性がリードし、女性がフォロワーと役割分担されています。チアリーダー時代は決まった振り付けを何百回と練習してきたため、習い始めたころはクラブやパーティーでその日に出会った相手と即興的に踊ることができる、というのが驚きでした。
そして練習を重ねていくと、大きな壁にぶつかり始めたのです。

 

私は自分でカウントをとったり、自分の筋力だけで動こうとするため、女性の役目であるフォロー(男性のリードにあわせて動くこと)がうまくできない。
結果的に、何だかちぐはぐな踊りになったり、男性の力を利用したスピード感や迫力が出せない。。。

 

長年のチアリーダー経験に加え、自分で決断し、組織の中でもリーダーを任されることが多かったため、フォロワーとしての動きがなかなか出来ず、今でも悪戦苦闘しています。
「ダンスには性格が出る」とずっと思っていましたが、まさかこんなに学びが大きいとは!
人と組織の在り方について考える時と同じことが、サルサの練習の振り返りでも出てくるのです。

まず相手を信頼してリードを辛抱強く待つ(任せる勇気を持つ)、

自分の思い込みで予測しすぎない(枠組みをいったん外してみる)、

自分の芯はしっかり持つが、相手からのリードを受信できるように肩の力を抜く(相手の意図を汲み取る心の余裕を持つ)、

などなど。

長年、自分の体と思考に染み付いたものから抜け出すのは簡単ではありませんが、自分と向き合うことが幅を広げるための第一歩!
そう考えて、これからも自分自身のために踊り続けていきたいと思います。

 

Sotoyama

「必要とされる」こと

猛スピードで駆け抜けた7月。
組織変革のためにいくつかのプロジェクトに関わらせていただき、
ありがたいことに「この仕事をしていて良かった」と思える瞬間が何度もありました。

 

長い組織の歴史の中で出来た「規範」に、メンバー自身が苦しみ葛藤しながら、仲間と対話を重ね、
「実はみんな職場を良くしたいと思っているんじゃないか…」という気づきを得た時、組織変革の本当のスタートラインに立ったような気がしました。
そしてそれと同時に、今まで何とかより良い職場を作ろうと奔走してきたトップの苦労やオモイを受メンバーが受け止めた瞬間、トップの表情に「やっと思いが通じた」という喜びや安堵感が表れたのです。

 

知らず知らずのうちに硬直していた関係性が、少しずつ溶けていく場に立ち会うと、まさに「組織は生き物」であり、「人や組織は変われる」のだと痛感します。

 

 

私自身も経験があるので良くわかるのですが、
組織の長となり、マネジメントを行っていると、
周囲からは知らず知らずのうちに「スーパーマン」のような扱いを受けることがあります。
でも、トップも同じ人間。
孤独になりがちな立場だからこそ、「誰かに必要とされている」という働きかけが心からの喜びになり、困難にも立ち向かえる。
「相手への期待」を伝えるのは、部下指導に限った話ではなく、
本来は様々な立場の人たちが、日ごろから言葉にして伝えていくことなのではないか…。
そんなことを感じました。

 

Sotoyama

 

最高の褒め言葉

少し前に、女性社員向けの「後輩指導研修」を担当しました。
参加者の皆さんには、自分自身の振り返りや、育成計画の立て方、後輩の成長段階の確認など、日ごろ多忙な業務の中ではなかなか時間が取れないことを、じっくりと足を止めて考えていただきました。
短期的な成果を求められる職場では、どうしても「人材育成」の考え方が短期思考に陥りがちだと感じていたからです。

 

「親が子の成長を見守るように、後輩の成長を温かく見守れる先輩社員になって欲しい」。
研修のオーダーを出してくださった担当者のオモイを聞いてから、実はどのように進行していくか、悩みに悩みました。
私自身が、今回の参加メンバーと似たような職場環境で仕事をしていた経験があり、成果を求められるプレッシャーや、時間が限られていて指導にかかりきりになれないもどかしさを、痛いほどよくわかっていたからです。

 

そんな試行錯誤で作り上げた研修プログラムの中で、参加メンバーの表情がみるみる明るくなったワークがありました。
後輩のやる気を引き出すための「褒め方トレーニング」です。
参加メンバーに感想を聞いてみると、「自分は今まで後輩のことをちゃんと褒めていなかったような気がします」との答えが返ってきました。

 

たかが「言葉」、されど「言葉」。
豊かな言葉が身につくと、自然に人の良いところを口に出せるようになっていきます。
相手が変わってくれるのを待つより、自分からポジティブなストロークを発信し、相手との関係性を変えていく。
この成功体験を積み重ねると、人材育成の面白さがだんだんわかってくる。
・・・これは私自身が実感してきたことであり、今回のプログラムで一番伝えたいことでもありました。

 

「先生、こういうの(褒め方トレーニング)元気になる!仕事の終わりに職場でやれたら、毎日どんなに気持ち良く帰れるか・・・って思います!」
ある参加者が研修の終わりに、私にかけてくれた言葉です。

多忙を極める職場では、彼女たち自身が「褒められる」ことが殆どなかったようで、ワークを通して参加メンバーの頬はみるみる紅潮し、笑顔になっていったのです。
悩みに悩んで作ったプログラムだからこそ、彼女の一言は私にとって最高の「褒め言葉」になりました。

 

私たちがご提供できるのは、ほんの“キッカケ”でしかありません。
でも私は、そのキッカケで感じた「感情」が、組織を変えていくエネルギーになると信じています。
参加メンバーに伝えたように、私自身も「人と組織が変わっていく可能性」を信じて、これからも多面的・多角的に関わりながら成長を見守っていきたいと思いました。

 

Sotoyama

「DJポリス」から学ぶ・・・

「皆さんは12番目の選手です。」
「こんな良き日に怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いてください。」

 
 

サッカー日本代表が2014年ブラジルW杯出場を決めた夜、渋谷駅前に集まったサポーターをユーモアのある呼び掛けで誘導し、一躍時の人となった「DJポリス」。
報道でご存知の方も多いでしょう。
警視総監賞を贈られたという機動隊広報係のお二人は、聞けば20代とか。
人の心に訴えかけるということに、年齢は関係ないと思わせてくれる、嬉しいニュースでした。

 

混乱を極めたあの場面で、DJポリスの彼らはまさに「リーダー」として人の心を掴み、言いづらいことも言わなければいけなかった。
日常生活に置き換えてみると、お客様が周囲にリーダーシップを発揮しなければいけない場面のお手伝いはもちろん、自分自身がリーダーになることもあれば、リーダーから指示を受けるという場面も多くあります。

 
「そんなときに大切なのは、高等なテクニックではなく、『口から言葉を出す前に、相手の立場にたって一度考えてみる』という、ごくごくシンプルなことなのではないだろうか?
はじめはうまく話せなくても、その積み重ねが『とっさの瞬間に出てくる言葉』を成長させ、結果的に周囲の人たちの心をつかむことが出来るはずだ。」
 

自分自身の様々な経験も脳裏をよぎり、DJポリスの活躍を見ながら、最近ふとそんなことを考えています。

 
 

Sotoyama

 

“キャリア”という虹

ありがたいことに、今月も様々なお客様のサポートをする機会があり、あっという間に5月も終わろうとしています。
先日は、そんなスケジュールの間をぬって、設立にも携わったODネットワークジャパンの年次大会に参加するため、名古屋の南山大学まで行ってきました。

 

複数のセッションが同時進行するなか、私は以前から関心があった「キャリア開発」と「OD(組織開発)」との関係性を考えるセッションに参加し、そこで大きなインパクトを受けました。
恥ずかしながら、勉強不足でこれまで「キャリア開発」については漠然としたイメージしか持っていなかったのですが、専門家の方にお話を伺い、自分が持っていたイメージは間違った認識だったことがわかったのです。

 

特に印象に残ったのは、「キャリア=会社の仕事(job)」ではない。社会活動の中で個人が置かれている役割全般(家庭での役割、地域社会での役割、など)を、キャリア開発における仕事(work)と捉えている。というお話でした。
私自身、過去には仕事を兼業したり、仕事とスポーツチームでの活動を両立させてきたり…と、複数の場所で「いかに人や社会に対して、影響力を持ったり、貢献の出来る人間でいられるか」ということを考えてきました。
自分にとってはそれぞれの場に「work」があり、それを全うすることが自分の在りたい自分に近づける道だと感じていたから、打ち込むことが出来たのです。
しかしその一方で、「なぜお金にならないことに、そんなに打ち込むの?」という疑問を周囲から投げかけられた経験もあり、理解してもらえない寂しさを感じたこともあります。

 

まだ日本では、キャリア開発を「昇進・昇格、職種変更、就職活動」と捉えられている傾向が強いというお話に、深くうなづいてしまいました。
私自身、組織の中で仕事をしていると、無意識に「jobを最優先させて考えなければいけない」ような気持ちになり、家庭や地域、それ以外の場でのworkに取り組むことに罪悪感を感じる瞬間があったのです。
だからこそ、今回の「キャリアはjobではなく、work」という考え方を聞き、霧が晴れたような気持ちになれました。

 

キャリア開発で著名なスーパー氏は、「キャリアは虹のようなものである」と言っていたそうです。
会社・家庭・地域社会…人生には、虹が複数の色の重なりで出来ているように、様々な場でのworkが同時進行していて、その時その時で色の輝き方のバランスも違っていい。
そう考えると、自分の虹をどう輝かせようか?広い視野で物事が考えられそうな気がします。

 

自分の生き方・在りたい姿(ビジョン)が明確だからこそ、OD(組織開発)も出来る。
所用のため、2日間の年次大会のうち初日しか参加することが出来ませんでしたが、セッションの最後に聞いたこの言葉に大きな力をもらい、明るい気持ちで帰路につくことが出来ました。
自分が関わるサポートでも改めて、組織に属するお一人お一人のビジョンが組織を変革する力になることを忘れず、取り組んでいきたいと思います。

 
Sotoyama

GWを前に…

気がつけばあっという間にゴールデンウィーク。

コンサルテーション・研修が続き、私にとってはようやく少し足を止め、

振り返る時間が取れるようになってきました。

この春も新入社員研修に関わらせていただき、新生活をスタートさせたばかりの受講者の皆さんの姿から、

様々な刺激をいただくことができました。

その中でも強く感じたのは、「素直な心」「体験してみること」「質の高い振り返り」の大切さです。

 

まず、他者の言うことをいったん受け止めてみる「素直な心」。

失敗を恐れず「体験してみること」。

自分の体験を通して学んだことを、掘り下げ、概念化する「質の高い振り返り」の時間。

たった1日の研修でも大きく成長していく彼らを見て、この3つの大切さを痛感しました。

 

言葉にすると当たり前のことですが、自分自身を振り返ってみると、

経験を積めば積むほど自分のプライドが邪魔をしたり、

山のようなタスクに追われ、意外と実践できなくなっているような気がします。

 

特にここ最近は、様々なことに忙殺され、「質の高い振り返り」がなかなかできていなかったな・・・と感じています。

失敗を恐れず「体験する場」や、「質の高い振り返りの時間」をサポートする仕事をしている以上、

自戒の意味も込め、今年のゴールデンウィークは有効に使いたいと思っています。

 

Sotoyama

 

湯船で思う地域のあり方

数年前、知人に「美容と健康に良い」と聞いてから、定期的に銭湯に行くようにしています。
“スーパー銭湯”や“スパ”ではなく、いわゆる昔ながらの“町の銭湯”です。

銭湯で熱めのお湯と水風呂に繰り返し入ることで代謝も少し良くなってきて、

おまけにお肌はツルツル・・・と、「銭湯効果」を感じる今日このごろ。

近所だけでなく、出先でも入れるタイミングさえあれば、ふらりと立ち寄ったりもします。

そんな銭湯ライフをゆるりと楽しむなか、先日、印象に残った出来事がありました。

 

行きつけの銭湯で湯船に浸かっていたときのこと。

小学校にあがるかあがらないかくらいの女の子が、一人で浴室に入ってきました。

すると、その女の子は体を流してから、私が入っていた小さめの薬湯スペースに入ってきたのです。

目があうとニコッと女の子が微笑んだので、つい「一人で来たの?」と話しかけてしまいました。

「ううん、お父さんがあっち(男湯)にいる。あとで待ち合わせしてるんだ。」

「そうなんだ。一人でお風呂に入れて、えらいねー。」

そんな会話を交わし、私は再び水風呂と熱い風呂の繰り返し。。。

その後何となく気になって女の子を見ると、女の子がお風呂からあがり、

着替えて脱衣所を出ていくまでの間、私が確認する限り、私も含めた6人のおばさん&お婆さんから

「一人で来たの?」と話しかけられていました。

そして、人懐っこい女の子は、その度に少しおしゃべりをして、最後は「さようなら~」と言いながら

お父さんの待つ待合室へと出ていきました。

その様子を見ながら私は、「あぁ、東京にもまだこんな温かい光景が残っていたんだな」と嬉しくなったのです。

 

子どもが安心・安全に暮らせるように、様々な地域で「子どもの見守り」の取り組みが広がっています。

私は、そういったものが必要とされている根底には、「他者への関心の薄い人が増えてきた」という問題が

あると感じています。

そして、他者への関心の薄さは、子どもだけに限らず、同じ地域に暮らす若者やお年寄り、

学校や会社の中での人間関係に対しても、同じことが言えるでしょう。

日ごろ仕事で、人間関係が希薄なチームをどのように「一枚岩」にしていくか?を考えさせられるだけに、

この問題は私の中では大きなテーマの一つになっています。

 

でも、まだまだ探せば、銭湯でのひとコマのような「良い意味でのおせっかい」なおばさんやお婆さん

(私もその一人です)が存在している。

家風呂が各家庭に普及し、町の銭湯は数少なくなってきていますが、

地域コミュニティとして機能し、「銭湯ダイアログ(対話)」なんて出来たら、まだまだ存在価値を

発揮し続けられるのではないか・・・?(湯あたりには十分注意が必要ですが)

 

そんなことを思いながら、春の夜風に吹かれて家路についたのでした。

 

 

Sotoyama

 

別れの季節

3月と言えば、卒業シーズン。
友人から子供の卒業式の話を聞いたり、街中で袴姿の女性を見かけたり・・・
「あぁ、もうそんな季節なんだな」と、時の流れの早さを感じます。

 

私の身の回りでも、仕事やプライベートでお世話になった方から「実は3月末で退職するんです。」
というご挨拶を立て続けにいただき、【別れの春】の物悲しさを感じずにはいられません。
嫌でも卒業に向かってカウントダウンしていく学生時代とは違って、社会人になってからの【別れ】は、
告げられる側にとっては「突然の出来事」である場合も多いもの。
別れを知ってから、「もっと恩返しができれば良かったのに」と思うこともしばしばです。

 
一方、人との【別れ】を悲しむ気持ちがありながらも、新しい世界に飛び込む人の「ワクワク感」や、
チームに新しいメンバーを迎え入れるときの「ドキドキ感」を羨ましく思う瞬間もあります。
組織に新たな人を迎え入れるのは、準備もパワーもいることですが、硬直化した規範を変えたり、
違った視点を入れるのには絶好のチャンス。
私自身は仕事上で、自分が組織を卒業したり、新たな人を迎え入れたりする経験がここ数年ないため、
最近は意識して、趣味を通した新たな人の輪に入っていくように心がけています。
一見仕事とは全く関係ないようですが、いつのまにか凝り固まっていた自分の考え方に気づかされることも多く、
やはり人との【出会い】が大切なのだと実感しています。

 

【別れ】は悲しいものですが、その先にはきっと喜びにあふれた【出会い】がある。
そう信じて、桜の季節を迎えたいものです。

 

 

Sotoyama

胸を熱くさせる人

先日、お客様との面談中に大変印象深い出来事がありました。
そのお客様は長く勤められた会社を退職され、新天地で組織作りに奮闘されている方でした。
どのような価値観を持った方なのか、過去のキャリアを伺いながら面談を進めるなかで、
少し前に、前職時代の経営者がお亡くなりになったことがわかりました。

その経営者がどんなに素晴らしい方だったか、お話を聴いていた時・・・
「すみません」
と突然メガネを外し、お客様がポロポロと溢れる涙をハンカチでぬぐい出したのです。
私は驚きとともに、自分の胸も熱くなっていくのがわかりました。
人を集め、成果を出すために組織を運営していく苦しさを感じていらっしゃるからこそ、
偉大な経営者が組織に関わる「人」を大切にし、愚直に当たり前のことを積み重ねてきた姿と
ご自分を重ね合わせ、様々なオモイが巡ってきたのでしょう。

人を切るのは簡単ですが、その前に、リーダーとして人と組織を成長させるため、

本当に全てのことをやりきれているのか?
奇しくも私自身が過去に関わった組織に対し、自問自答を繰り返していたタイミングだっただけに、
お客様が見せてくださったリーダーとして葛藤する姿に、「私も一歩前に踏み出さなくては」と
胸が熱くなりました。
お客様を応援する立場でありながら、いつも力をいただいていることに感謝したいと思います。

 

Sotoyama

睦月を振り返って

2013年がスタートし、あっという間に一ヶ月が過ぎようとしています。
この一ヶ月は、様々な場面で「歴史を引き継ぐ」ということを考えさせられました。

お正月には、最近着物の美しさ・面白さに目覚めたこともあり、母や祖母の着物や帯を

身にまとって過ごしました。

数年前まで全く興味がありませんでしたが、祖母から母、そして母から私へと引き継がれ

た布を、自分のサイズにあうようにお直しをし、体に沿うようにして着付けていく・・・。

その時代時代で祖母や母が経験した生活、感じてきた空気を引き継ぎながら、

現代に生きる「自分仕様」にアレンジしていく感覚が、何とも心地良いと思えるようになりました。

そして何より、一枚一枚の着物を通して、母との会話が増えたことが一番の財産なのかもしれません。

 

仕事も同様、「我社の伝統を次代にいかに引き継ぐか?」というテーマのお手伝いに関わっており、

引き継ぐ側も引き継がれる側も、実はそのキッカケを欲していたのではないかと感じる経験をしました。

日々の業務が多忙であればあるほど、組織の中にうもれてきた「当たり前」に目を向けることが難しくなります。

ホンの少しでも足を止めて、老いも若きも「変えるべきこと」と同時に「残すべきこと」を共に考える場ができれば、

強みを発揮できる組織が増えていくのではないか・・・?

睦月を振り返り、そんなことを感じています。

 

Sotoyama